一番右が私。私の隣がいいちゃん。
真ん中に立っているのがマエさん。
一番左がちっちゃん。
あれは5年生が終わる時の、お楽しみ会か何かの時だったのだろうか。細かくは覚えていないのだが、いいちゃんこと飯坂哲太君と、マエさんこと前園隆志君の2人が、クラスの皆の前でピンクレディーの「S.O.S」を歌いながら踊ったことがあった。
その頃、ピンクレディーは人気が出始めて、テレビでよく見るようになっていたが、まだ誰もが真似をして踊る時代は到来していなかったし、その後の大ブレークは誰も予測していなかったと思う。まだ「ちょっと色っぽい、変わった踊りをする新人歌手」というイメージだった。
なので、いいちゃんとマエさんが皆の前で踊る姿を見た私はかなりの衝撃を受けた。
「大人の色っぽい踊りを、小学生の男の子が皆の前で踊るなんて!」と。
しかしそれと同時に
「小学生も踊っていいんだ! 私も覚えて踊りたい」
という気持ちが沸き上がって来た。
さっそく私は親友のちっちゃんと一緒に、ピンクレディーの踊りを覚えることにした。私はミーちゃん、ちっちゃんはケイちゃんの担当になった。
その頃は毎日のようにテレビ番組で歌番組が放映されていたので、番組をチェックしながら踊りを覚えた。まだ家庭用の録画機は登場していなかったので、ひたすら放映に集中して踊りを覚えるようにした。その頃から、雑誌には、よくピンクレディ―の振り付けが写真でコマ送りになって解説されたページが掲載されていたので、私たちはそういった雑誌を買って一生懸命覚えたりもした。
「S.O.S」のヒットの後は、「カルメン’77」や「渚のシンドバッド」など連続のヒットがあった。もうその頃には日本全国の小学生から中学生、それ以上の大人たちもピンクレディーに夢中だった。
「渚のシンドバッド」では、途中の
「♪くちびる 盗む 早業は 噂通りだわ あなた シンドバット」
という所で、ハモったりもする。私はミーちゃん、ちっちゃんはケイちゃんのパートを受け持ってハモりも練習して歌えるようになった。
私たちが何かの催しで歌と踊りを披露するということはなかったけれど、ただ純粋に歌や踊りが楽しかった。テレビを見ていたら歌って踊らずにはいられない、そんな気持ちだったと思う。
あの頃の小学生は、誰もが同じ気持ちだったと思う。そして誰もがピンクレディーを歌って踊ることができたのではないかと思う。
大人になって社会人になり、職場の皆と一緒にカラオケに行く機会があった。同じ人事部に配属になった同期の女子と、何の打ち合わせもせずに、「渚のシンドバッド」をハモって踊ることができた。部長さんや課長さんたちは非常に驚いていたけれど、私たち世代にとってはそれほど珍しいことではないような気がする。
ちなみに、その女子とはあみんの「待つわ」も完璧にハモることができた(笑)。