実家にて望洋小学校の「卒業アルバム」なるものを見つけ、すっかり忘れていた写真をいくつか発見したので、今回はそれを掲載したいと思う。
不入斗(いりやまず)の陸上大会において、走り幅跳びで銀メダルを取った日の写真は現存していないと思っていたが、集合写真を見つけた。それが上の一枚である。
後列の真ん中あたり、男性の先生の左肩で一番笑っているのが私である。41番というのは、たぶん望洋小学校の番号だと思う。母によると、このゼッケンを前日の夜にあわてて縫い付けた記憶があるという。
私の前に座っているのが2組のマコちゃんで、首にメダルをぶら下げている。たぶんソフトボール投げで入賞したのだろう。
1組の歴史年表もあった。6年に上がる時にはクラス替えはなかったので、そのまま6-1になった。「農家旋風」は5年の5月ごろに始まり、6年の6月頃に衰えたらしい(笑)。
高梨先生(仮名)の産休のこともあった。翌年の1月に戻ったとあるので、やはり3~4か月だったようである。代用教員のアパッチ先生(ニックネーム)が来たことも書いてある。
アパッチ先生の写真は残っていないと思っていたけれど、卒業アルバムには残っていた。昭和51年10月に箱根に行った時の写真である。
最後列の右端に写っているのがアパッチ先生である。記憶の中では「70代に見えた」などと書いたが、実物は意外と若くてきれいだったので驚いた。
ここに載せたのは2組の方の写真である。これと同じ構図で私たち1組の写真もあるのだが、(私のスマホの撮り方が)不鮮明だったのでこちらを掲載した。
2組の顔ぶれを見て思い出したことがある。1組に比べると、しっかり勉強している児童が多い2組であった。望洋小学校は新興住宅地なので成績の良い子が多かったこともあり、2組では父兄から
「テストで良い点を取っているのに、通知表の評価が悪い」
と苦情があったらしい。相対評価なので成績の良い子が多いとそうなってしまう。
2組担任の角田先生(仮名)も、しっかり学習を習慣づける指導をしていたらしい。「ホームランノート」なるものを作り、家庭学習をするように指導していたとのことである。
1組はあまりそのような記憶がない。農家旋風が吹き荒れている1組と2組とは大違いだったのが笑える。
0 件のコメント:
コメントを投稿