2018年10月13日土曜日
19.亀戸天神のくず餅、舟和の芋ようかん、そして…
写真は亀戸天神の藤の花である。平成30年の今はもっときれいに咲き誇っているが、昭和40年代はこんな感じだった。
亀戸天神のお土産の定番は船橋屋のくず餅。あのプルプルした冷たいくず餅に、きなこと黒蜜をかけるシンプルな和菓子は思い出深い。
それから舟和の芋ようかんも懐かしい。こちらは浅草が本店だが、錦糸町界隈にはいくつか店舗があり、私にとってはこどもの頃の思い出の味の一つである。
家から歩いて錦糸町の駅の手前、江東デパートと通りを挟んだ正面には、人形焼きのお店もあった。お店の中には人形焼きを作っている機械もあった。包み紙には本所七不思議の「おいてけ掘」の言い伝え、タヌキのような絵が描いてあったのを覚えている。
今は洋菓子も含め、もっと美味しいお菓子が沢山あるけれど、あの頃はまだ市販のチョコレートやスナック菓子の種類も限られていて、どれも小さな子どもにとっては特別なものだった。
幼稚園の頃のお菓子のエピソードがある。私はものもらいの一種、霰粒腫(さんりゅうしゅ)が目にできてしまい、眼科で手術を受けることになった。
手術は小さな病院で30分程度で終わる軽いものだった。しかし目の中を切る手術だったので小さな子どもには大変な経験だった。怖かったし痛かったけれど、どうにか耐え、無事手術を終えた。
その時、心配していた母は、私が全く泣かずに耐えたので、約束をしていたわけでもないが何かおもちゃでもごほうびに買ってあげたいと思ったらしい。
「偉かったね、何か欲しいもの、ある? 何でもいいよ」。
母はお人形やゲームなどのおもちゃをねだられることを想像していたらしいのだが、私は何と「かっぱえびせん」と答えたらしい。
その頃は確かにかっぱえびせんが大好きだった。カルビーでもまだサッポロポテトやバーベキュー味も発売されていない頃だった。あの頃の私にとって、かっぱえびせんが一番美味しいスナック菓子だったのである。
「かっぱえびせんでいいの? いいよ、買ってあげるよ」
母は私のことがいじらしくなってぎゅっと抱きしめたそうである。
それにしてもかっぱえびせんだなんて。本当にいじらしいというか、いじましいというか。昭和のかわいらしい子どもだったなぁと我ながらに思う。
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