写真はイメージです(横須賀写真ライブラリー)
昭和51年頃、望洋小学校の周りには、少しずつ家が立ち並び始めていたが、久里浜方面へ抜ける吉井のあたりは、まだ山や田んぼや畑、農家が立ち並んでいた。
ある春の日、歩いて数十分の「吉井の田んぼ」で課外授業があった。池のめだかを観察したり、農家の立ち並ぶ山道を走り回ったり。5年生の私たちにとって、それは本当に楽しい楽しい夢のような時間だった。
その日のことが忘れられない私たちは、高梨先生に
「また吉井の田んぼ、農家に行きたい!」
「農家!農家!」
と何度もお願いした。
しかし通常の授業もやらなくてはいけないから、そんなにしょっちゅう農家に出かけてもいられない。高梨先生は困った顔をしながら、私たちの懇願を受け流していた。
どうしてもまた農家に行きたかった私たちは、みんなで頭をひねって作戦を練った。
「朝、先生が来たら、みんなで農家!農家!と大声で叫ぼうよ」
「そうだ、黒板いっぱいに農家の絵を描こうよ」
数日後、その作戦は実行に移された。私たちは早めに学校に行って、農家の絵やら文字やらを黒板にめいっぱい殴り書きし、自分たちの情熱を表現した。
事前の練習ではクラスのリーダー的存在だった、いいちゃんこと飯坂哲太君(仮名)が音頭を取った。
「じゃあ、みんなで声を合わせて。せーの!」
「農家!農家!農家!農家!」
男子も女子もみんな一緒になって、出来る限りの大声を出した。
「いいね、その調子。じゃあ本番でも僕が、せーの、って言ったらスタートだよ。それまでは静かに着席だからね」
「OK!」
私たちは高梨先生が教室にやって来るのが待ちきれなかった。どんな反応をするのか、そして農家に再度行くことは叶うのか。ドキドキしながら先生の到着を待った。
しばらくすると、戸がガラガラと開いて、高梨先生の丸い顔が現れた。
「あらっ、今朝は静かねぇ」
私たちはいつも教室内でうるさく騒いでいたのに、その日は静かに着席していたから、先生はとてもうれしそうだった。そして黒板に目を移した瞬間、リーダーの飯坂君が
「せーの!」
と合図を送った。その瞬間、一斉に
「農家!農家!農家!農家!」
という私たちの声が教室いっぱいに鳴り響いた。先生は大爆笑しながら、両手を上げて(ストップ!)のジェスチャーをした。しかしその声はいつまでも止むことがなく続いた。
「農家!農家!農家!農家!」
高梨先生はとうとう根負けして
「わかった、わかったから。農家に連れて行くから」
と言ってくれた。私たちの勝利だった。
数日経ってから、先生はあの吉井の田んぼの近くにある農家へ遊びに連れて行ってくれた。それは楽しかったけれど、実は私たちが一番楽しかったのは、教室で「農家!農家!」と叫んでいる瞬間だったのかもしれない。教室の退屈な授業から抜け出すこと、先生を根負けさせて自分たちの主張を通すこと、そのようなことが楽しさの本質だったのかもしれない。
5年生の時の思い出は他にも沢山あるけれど、やはり一番印象に残っているのは、この「農家事件」である。授業ができない状態になって、ある意味「学級崩壊」と言えたかもしれない。あの自由すぎる5年1組の雰囲気は、大人になってからも心の宝物である。自由で優しかった高梨麗子先生には大変感謝している。
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