担任の高梨先生(前列右端)と女子たち。
私は前列左端。
高梨麗子先生の家には、数名のクラスメイトたちと一緒に何回か遊びに行ったことがあった。
先生の家は、京急の堀ノ内駅が最寄だった。私が住んでいた京浜大津駅(現在は京急大津駅という名称に変わっている)の1つ隣が堀ノ内駅である。たしか先生の家までは歩いて行ったように記憶している。先生はご主人と娘さん一人の3人家族だった。ご主人はとてもスリムで、神津善行(中村メイコの夫)のような風貌の人だった。麗子先生と並ぶと対照的なキャラクターだった。娘さんはその頃、幼稚園の年長組くらいだったと思う。顔も体型も麗子先生と瓜二つの丸々と太ったかわいらしい女の子だった。私たちはその娘になぜか「ズバゴン」という愛称をつけた。
ある時は先生の家で、先生も一緒にマージャンをした記憶がある。私はマージャンを知らなかったけれど、先生に教わって少しやったと思う。残念ながらその後すっかり忘れてしまって今はできない。
「小学校の時、担任の先生とマージャンをやった」と言うと、だいたいの友人には驚かれる。高梨先生のお人柄がとても気さくで、私たち生徒にとても近しい存在だったからこそだったのだと思う。
しかしあまりにも気さくで近しいと、子どもたちというのは先生をなめてしまい、時には暴走してしまうこともある。その話は次回詳しく書く予定である。
ところで4年生の時の担任だった、とても厳しいS先生は、今度は2年生の弟の担任になった。2年生になった当日、弟はふさぎこんで家に帰って来た。いつもは大食いで私の残したゴハンまで食べてしまう弟だったけれど、その日は「食欲がない」と言って大好きなハンバーグを残してしまった。母によると「1年間あまり元気がなかった」らしい。
私はそんな弟の様子には全く気付かず、S先生と離れて気さくな高梨先生の下、毎日学校で男子に混じって大騒ぎをしている体であった。(つづく)
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