5年1組のメンバー
私は最後列の左から2番目
昭和51年の4月、私は望洋小学校の5年生に進級した。1年前、望洋小の周りは、ほとんど何もなかったけれど、1年の間に建設ラッシュがあり、沢山の家が立ち並んだ。
特に「桜が丘団地」(通称)という大きな団地が望洋小学校のすぐ前に建設されたことで、急に多くの転校生が増え、学校内も様変わりした。
私たちの学年は1クラスだけだったのが、2クラスになった。私は5年1組に割り振られ、同じクラスにはちっちゃんがいた。ヨネやカノキャン、永岡君、奥田さん、朝美さん、マコちゃんたちは5年2組になって分かれてしまった。
ちょっと寂しかった。しかし新しい出会いもあった。
4年1組のメンバーは、どちらかというとおぼっちゃんっぽい男子が多かったけれど、桜が丘団地に引っ越してきたメンバーは、すごく元気ですばしっこく、スポーツが得意な男子が多かった印象がある。女子も個性的な楽しい子が多かった。
5年1組の担任は、高梨麗子先生(仮名)という新しく転任してきた30代の先生だった(後ろから2列目の左端)。名前は麗しいのだけれど、写真でもわかる通り、見た目はコロコロとして、とてもかわいらしい先生だった。私たちは早速、先生に「おにぎり」というあだ名を付けた。
高梨先生はヘビースモーカーで、ちょっとしゃがれた声をしていた。いつも愛車の軽をワイルドに運転していた。コロコロっとした車のデザインは先生にぴったりだった。
いわゆる「学校の先生」タイプではなかったし、私たちのお母さんとも全然違ったタイプだった。
そんな高梨先生は、教育方針も自由だった。いや、特に「方針」というものは持ってなかったのだと思う。
私たちはそんな高梨先生のもとで、とても自由奔放な、楽しい1年間を送ることができた。(つづく)
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