ふくよかな体型だった高梨麗子先生(右端)。
あれはたしか、5年生の秋、9月の25日くらいだったと思う。下校の前の時間に担任の高梨先生から重大発表があった。
「実は二人目の赤ちゃんが生まれることになったので、10月からしばらく産休に入ります」。
「ええっ?」
私たち5年1組の生徒はびっくり仰天して一斉に大声を上げた。
あの時、高梨先生は妊娠何か月だったのだろう。そしてどのくらいの期間、休んだのだろう。細かいことは覚えていないし、徐々にお腹が大きくなっていく高梨先生の姿もあまり記憶がない。先生はふくよかな体型だったため、お腹があまり目立たなかったのではないかと思う。
「来月から、代理の先生が来ます」
「えーっ、どんな先生ですか?」
「女性の先生で、梅沢サダ先生(仮名)といいます。産休の補助を専門にされて、様々な学校を担当されてきたベテランの先生です」。
そして10月の初日から、私たちの担任は梅沢サダ先生になった。梅沢先生はあの頃、何歳だったのだろう。私の記憶の中では70代だったように思えるのだが、まさか定年が55歳か60歳の時代に70代の先生がいるはずがない。しかし顔には多くのしわが刻まれ、まさに「おばあさん」という感じの女性だった。
5年1組の悪ガキたちは早速、梅沢先生に「アパッチ」というあだ名をつけた。その頃にテレビで放映された『アパッチ』というネイティブアメリカンの映画に出てきた俳優に、しわの感じがそっくりだったからである。
アパッチと言うあだ名は、梅沢先生にはもちろん内緒だったが、男子達は梅沢先生が教室に到着すると、みんなで一斉に、しかし気付かれないくらいの小さな声で「アパッチ、アパッチ、アパッチ、アパッチ・・・」と合唱するのだった。私たち女子は笑いをこらえるのに必死だった。
高梨先生が産休に入る前、生徒たちは自由奔放に毎日を送っていたけれど、梅沢先生はとても厳しく、きっちりとした先生だったので、私たちはそのギャップに少々ついていけない感じだった。相変わらず全体的にいつも騒いだり、時間にルーズだったりしていたので、梅沢先生が来てから毎日しょっちゅう叱られるようになってしまった。
梅沢先生は、よく給食が終わると、教室の後ろにある水道のところで歯磨きをした。それが歯ブラシを使って磨くのではなく、自分の人差し指で歯を磨くのだった。たしか歯磨き粉も使わず、塩を使っていたように記憶している。
なぜそんなことを覚えているのかはわからない。それ以外のことはあまり覚えていないし、梅沢先生の写真も残っていない。決して冷たい先生ではなかったと思うし、むしろ教育熱心で生徒思いだったかもしれないと、今になると思ったりもする。
しかしあの頃は生徒たちに全く好かれていなかったし、梅沢先生自身も好かれようとして愛想よくすることもなかったように思う。
様々な学校を転々として、産休代理という大事な仕事をこなし、毅然とした態度で教鞭をとっていた梅沢先生だった。あの頃もしかしたら50代だったのだろうか。今の私と同じくらいだったということになる。
今、私も学校で教えるという仕事をしているが、学生には嫌われたくないと思ってしまうし、愛想を振りまいてしまうこともある。今になると、梅沢先生のあの毅然とした態度を尊敬してしまう。
高梨先生はたぶん3~4か月くらい休んだのではないだろうか。出産後は無事に復帰されたので、梅沢先生はまた他の学校に異動になった。その後どうされているかは全く聞いていない。
笛を吹いているのが私。
その後ろに水道と鏡が写っている。
この位置で梅沢先生はいつも歯を磨いていた。
写真は4年生の時。
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