小学校4年生の時のクラスメイト。
たぶん小学校を卒業する時に集まって記念写真を撮ったのだと思う。
前列の白いセーターを着ているのが私。
1月中に、年賀状に関する思い出を書こうと思いつつ、気が付くと29日。時のたつのが年々早くなる感じがする。
今回はまた急に小学校4年の時の話に戻る。
4年生に上がる時、私は錦糸町から引っ越して、横須賀の小学校に転校した。新興住宅地に1つ新しい小学校が設立され、まだ生徒も少なかったので1クラスだけでのスタートだった。
担任のS先生は男性で当時40歳。勉強にも生活態度にも非常に厳しく、細かく、怖い先生だった。
昭和51年1月、3学期の最初の日。S先生が年賀状に関して話してくれたことがどうしても忘れられない記憶として残っている。
私たち生徒は、喪中の子ども以外、たぶん全員S先生宛に年賀状を出していた。しかしその書き方に問題があったらしい。S先生は黒板の前で、私たちの年賀状に様々なダメ出しをした。
「宛先の住所は、横須賀市から書かないといけない。市内、なんて書いては失礼になる」
私たちは震えあがり「自分の出した年賀状はどうだったろう…」と記憶をたどった。幸いなことに、私はたしか「横須賀市」から書いていたと思う。しかし「市内」と書いてしまった子は本当に気の毒だったと思う。内心ドキドキだっただろう。
「相手の名前に付ける敬称は、様でも先生でもどちらでもいいけれど…」
そのような感じで、他にも番地の書き方など、細かく延々とダメ出しは続いた。私たち生徒は静かにS先生の話を聴いていた。
今考えると「なぜ12月に教えてくれなかったのだろう、ひどい」と思う。往々にしてS先生の指導は、今思えば理不尽なこともあったけれど、昭和の子どもだった私たちはいつもS先生の教えを素直に受け入れていた。
S先生の話してくれた内容は、今でも事細かに覚えているし、それは私だけではなく、他のクラスメイトも同様だということを、大人になって同窓会で集まった時に知った。
「小中高といろいろな先生に担任を受け持ってもらって、他の先生にはもう年賀状なんて出さないけれど、どうしてもS先生だけにはきちんと出さないと、と思ってしまうんだよね」
「そうそう! そして住所はちゃんと横須賀市から書くんだよね」
話をしていた全員が同意をした。そうか、毎年出し続けているのは私だけではなかったのだ。
小学校4年の同窓会は2年に1度開催しており、S先生も毎回お招きしている。80歳になってすっかり丸くなったS先生は
「あの時は私も若かった。ちょっと言い過ぎたことも多かったと反省している」とのことだった。S先生のことが今でも苦手で同窓会に来ない生徒もいるけれど、あの厳しさが懐かしくて、毎回参加するという生徒も多い。
昭和は遠くなり、平成ももうすぐ終わる。もう年賀状などは出していないという人も増えた。私も年号が変わる来年からはやめようかどうしようかと考えている。しかしたぶんS先生だけにはきちんと出すと思う。住所は「横須賀市」からちゃんと書いて。