就職活動をする少し前の私。
今回は20歳頃の就活の話をしたいと思う。
昭和時代の就職活動、私の頃は今とずいぶん違っていた。あの頃は10月1日の解禁日が厳密に守られていたし、学校からの推薦で企業を受験して、ほぼ一社目で決める学生も多かったように思う。
私は10月1日、学校からの推薦で某証券会社に受験しに行き、いきなり不合格になってしまった。後で知ったのだが、学校枠とは別ですでに縁故の学生が合格することが決まっていて、学校に貼りだされていた求人票はダミーだった。私は運悪くその会社を受けてしまったのだ。
大体の人が一社目で決まってしまうため、そこで落ちてしまうと、条件のいい会社はほとんど残っていない状態だった。すぐに数社受けてみたけれど、何となくピンと来なくて、内定をもらっても辞退を繰り返していた。それが10月から11月いっぱい続いていた。
就職氷河期の世代からしたら贅沢な悩みと言われてしまうかもしれないが、その頃の私はかなり落ち込んで悩んでいた。「もうどこにも就職できないかもしれない」。景気も悪くなかったので、ほとんどの同級生たちは条件のいい企業から内定をもらっていた。友人たちと顔を合わせることも嫌になっていた。
そんな時、母だったか友人だったかは忘れたけれど「中途採用の募集で新卒も可、っていう求人もあるから、そういうのを探してみれば?」とアドバイスを受け、「そうだ、その線も探してみよう」と思った。
そして早速、都内のアルバイトに行く途中、京急の横須賀中央の駅の売店で「とらばーゆ」を買った。それはリクルートが80年代に創刊した女性向けの転職情報誌だった。京急の快速品川行の中でパラパラとめくっている時、私は「外資系」と書いてある一つの会社に興味を持った。渋谷に本社があって、建物の写真もきれいだった。何となく「この会社で働いてみたい」と思い、早速履歴書を送った。
その後はトントン拍子で事が進んだ。書類審査を通り、採用試験にも合格し、12月に内定をもらうことができた。私はその外資系企業「Y」に新卒として入社した。配属は人事部だった。
結局その会社には20年近くお世話になったし、仕事の関係で夫とも知り合った。夫が転勤になり、帯同した先で大学院に入学し、大学に教員の職を得ることもできた。雇用の研究は、その会社に入らなかったら、そして人事部に配属されなかったらやっていなかったはずである。
あの日、あの時、あの場所(横須賀中央駅)で、「とらばーゆ」を買っていなかったら、私の人生は全く違うものになっていたと思うし、今知り合いになっている多くの友人たちとも見知らぬ他人のままだったはずである。
だから「とらばーゆ」には感謝したい。今では男女別の募集採用は禁止されているから、とらばーゆが存在していたこと自体が昭和的と言えるかもしれない。今でもネット上のサイトやフリーペーパーの形で継続していて、女性限定の募集ではなく、女性が多い職種の募集を中心に掲載しているようである。
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