2019年1月14日月曜日

「忘れ物の女王」再び


 私は中学3年間、軟式テニス部に属していた。上手でもなかったし、球拾いばかりであまり楽しくなかったけれど、なぜか「部活を途中で辞めることは良くない」という昭和の日本人的な考えから、何とか3年間続けて、卒業アルバムの写真におさまることができた。
 真ん中の列の真ん中、センターに位置しているのが私である。私が着ているシャツをよく見ると、襟なしで、他のメンバーとは違う柄が描かれているのがわかる。
 この時、数日前に「〇月〇日に、卒業アルバムのための集合写真を撮るので、公式ユニフォームを必ず持ってくるように」というお達しがあった。しかし当日私はすっかりそのことを忘れていて、いつも練習用に着ている絵が書いてあるTシャツだけを持ってきてしまったのだ。
「あっ、どうしよう!ユニフォーム忘れちゃった」
 それに気づいた時はかなりあせった。他のメンバーは全員きちんとヨネックスのユニフォームを持ってきていた。一人一枚ずつしか持っていないから、貸してもらうことはできない。かなりのピンチであった。
 しかしそこは「忘れ物の女王」歴も長い私である。開き直って何とセンターにずうずうしく位置し、堂々と撮影に臨んだのである。若干体を右にねじって、背をこごめて、前の友人の頭で隠れるようにしているようにも見える。
 40年近く経って、あらためて見てみると、写真は小さいし言わなければ気づかれない程度である。先日母に話して見てもらったけれど「あら、そういえばそうね」と言っただけだった。
 あの時はピンチだと思ってあせったけれど、意外と時が過ぎると大丈夫なことって多いような気がする。でも忘れっぽい私だから、他にもきっとテニス部のみんなには迷惑をかけたことも多かったと思う。ゴメンナサイ! 

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