2019年1月10日木曜日

けつバットとパセリ、大好きだった先生の思い出

 前回、中学校2年生の時の話をして、その時のこと、昭和的なことを思い出したので書きたいと思う。
 2年の時に担任だったK先生(男性)は、とても生徒から人気があって、私もあこがれていた一人だった。当時K先生は27歳。体育の先生だったのでスポーツマンでカッコよく、厳しさの中に優しさがあるところも人気のポイントだった。
 そんなK先生は、生徒が何か悪いことをすると「けつバット」のお仕置きをすることで有名だった(これがとても昭和的だと思う)。教室の黒板の横には、野球のバットよりも少し大きめで太い木の棒がいつも立てかけてあった。
 お仕置きされる生徒は、黒板のチョーク置き場に手を置いて、みんなの方にお尻を向ける。そしてK先生はお尻めがけて力いっぱいバットを振るのだった。
 お仕置きされる子は、だいたい決まっていた。ちょっとワルの男子生徒たち。遅刻をしたり、忘れ物をしたり。一人だけではなく数人一緒にお仕置きされることもあった。けつバットされた男子生徒は「いたたたたーっ!」とお尻をさすりながら教室を走り回った。クラスの皆がその様子を見て笑った。ちょっと大げさで、みんなを笑わせようとしているのかなと思った。
 私もその後、たしか何か忘れ物をしたかで(小学校からの延長で、忘れ物はたまにしていたと思う!)けつバットをされたと思う。実際にけつバットをお尻に受けると、かなりの痛さだった。それまで見ていただけの時はわからなかったけれど、体全体にジーンと来る痛みで、けっこう応えた。ふざけていたように見えた男子生徒のリアクションは冗談ではなかったのだ。
 その頃、私は何となく自意識過剰で、K先生に気に入られているような気もしていたので、少しは手加減してくれるかな、などと浅はかな期待もしていたが、まったくそのようなことはなく、K先生はどの生徒にも平等にお仕置きをした。
 なぜK先生に特別に気に入られていたように思ったのだろう。1つ覚えているのは、ある日のお弁当の時間のことである。私たち生徒がお弁当箱を広げて食べていると、いつもはその時間に来ないはずのK先生がなぜか突然現れ、女子生徒が固まって食べている場所に近づいてきて、皆のお弁当箱の中身をじろじろと物色し始めたのだった。私たち生徒はK先生のことが大好きだったので、そういうふうにK先生にかまってもらうことがうれしくて仕方がなく、みんなでキャーキャー騒いだ(青春だなぁ)。
 そのうちにK先生は私のお弁当に入っているパセリを勝手につまんでぱくっと食べてしまった。私はうれしくって仕方がなかった。それで「きっと私を気に入ってくれている」と勘違いしてしまったのだが、よく考えればそういう冗談にはパセリが一番無難だったのだと思う。
 K先生は私たちと同じ学区の県立Z高校から国立のT大学に進み、体育の先生になったと聞いていた。K先生にあこがれていた私は、同じ県立のZ高校を選んで進学をしたくらいK先生のことを尊敬していた。まあ、成績がちょうどZ高校に入るレベルだったということもあるが、ほぼ同じレベルでO女子高というのが家の近くにあって徒歩で通えたのに、あえて遠いZ高校を選んだのは、K先生の影響が大きかったと思う。
 2011年に中学の同窓会があって、K先生とも数十年ぶりに再会した。体罰に対して厳しい目が向けられるようになり、もうけつバットはかなり早い時期にやめたということを聞いた。そしてすっかりロマンスグレーになったK先生は、私のことを覚えていてくれてファーストネームで呼んでくれた。うれしかった。K先生は
「君のお父さんは、たしか八百屋さんだったよな?」と聞いてきた。しかしうちの父は普通の会社のサラリーマンだった。私は「八百屋の娘はケイコちゃんですよ」と答えた。
 少し、いやかなり残念な気持ちになったけれど、先生という職業は、多くの生徒を相手にしているのだから当然だと思う。私の顔を覚えていてくれただけでも感謝したいと思う。


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