錦糸町の話が終わってから、続編を書いて欲しいとの要望をたくさんいただきました。ありがとうございます。
あの一連の話は、実は構想2年をかけました。同じようにはすぐ書けないと思いますが、昭和のこと、思い出したことを、順不同ですがメモ的に書いていこうかと思います。おつきあいいただければ幸いです。
先日、テレビでYMOの特集が放映され、中学校2年生の時のことを思い出した。私は横須賀市立馬堀中学校2年10組の生徒だった。たしか秋に文化祭があって、クラスで劇を発表することになり、放課後、その練習をしていた時のことだった。
教室には私の他に、5~6人の男子女子がいて、みんな真面目に劇の練習をするというよりは、何となく雑談をしたり、プロレスの技をかけあったりして楽しんでいる感じだった。
クラスメイトの一人、ナガサカ君は、窓際の机に座って、頭にヘッドフォンのようなものを付けて黙っていた。ヘッドフォンから出ているコードは、ナガサカくんの手の中にある箱のようなものにつながっていた。
「あ、それ何だっけ、CMで見たことある」私が聞くと、
「ウォークマンって言うんだよ」とナガサカ君は答え、ヘッドフォンを渡してくれた。さっそく私はヘッドフォンをかぶり、音楽を聴いてみた。YMOの「RYDEEN」がかかっていた。
「うわー、すごいねぇ」
1979年10月。私が初めて、ウォークマンというものを使った瞬間だった。YMOの曲は、それ以前に聴いたことはあったか、なかったか、定かではないけれど、とにかく新しい時代の音楽という感じがしたし、それをウォークマンなんていう新しい時代の機械で、家ではなく外で聴くというシチュエーションに衝撃を受けていた。
あの頃YMOの人気は驚異的だった。誰もが全ての曲を知っていた。レコードを買えない子も、持っている子から借りてテープに録音して聴いていた。小学生だったうちの弟もYMOにはまり、坂本龍一のシンセサイザーにあこがれて「ピアノを習いたい」と言い出し、また母は困っていたことを記憶している。
その後、私はウォークマンを買うことはなかったように思う。中高生には高かったし、周りの友達もそんなにたくさんの人は持っていなかったと思う。社会人になってから、CDウォークマンは買った記憶がある。それももう今の時代、使われていない過去の製品になってしまった。時代の流れは早すぎる。
2019年1月6日日曜日
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