七夕の頃
紺のワンピースが珍しく女の子っぽいマコちゃん。
右隣が私。
マコちゃんとは、小学校を卒業後も同じ中学に進んだ。彼女はソフトボール部に入部し、エースのピッチャーだった。ボーイッシュなマコちゃんにソフト部のユニフォームはとても似合っていたし、ピッチャーとしての活躍ぶりは目立っていてかっこよかった。
高校は別の学校に進み、その後は疎遠になっていたが、高校を卒業した後に開催した小学校の同窓会で再会できた。マコちゃんはサラサラの髪を長く伸ばし、見た目はすっかりエレガントな女性になっていて、同級生みんなを驚かせた。
20代30代は仕事や家庭・子育てで皆忙しい時期である。同窓会をすることもなく時はあっという間に流れていった。
そして2011年の秋に、中学の同級生が全クラス合同の同窓会を企画してくれた。私たちは46歳になっていた。東日本大震災の直後ということもあり、旧友との「絆」を懐かしく思い、多くの同級生が参加をした。一緒に卒業したのは400人くらいだったと思うが、100人以上の人が出席するという、とても大きな同窓会になった。
高校までずっと一緒だったちっちゃんと私は、久しぶりにマコちゃんに会えることも楽しみにして会場へ向かった。しかし会場にはマコちゃんの姿はなかった。朝美さんも来れなかったようだし、きっと調整がつかなかったのだろう。
と想像していた私たちに、誰かがこう教えてくれた。
「マコちゃんは、30代の時、病気か何かで亡くなったらしい」
ちっちゃんと私は、その場で絶句した。あんなに、一番元気だったマコちゃんが亡くなるはずはない。そんなことは全く想像できなかったし、信じたくもなかった。
なぜ亡くなったのか。「らしい」という伝聞のみで、その後も詳しく知っている人に聞いてはいないので、実は今でも私は信じられていない。何かの間違いで、実は生きていて突然来年の同窓会に来るような気もしている。あえてきちんと事実を確かめないようにしているのかもしれない。
今でも私の耳の中には、「としこブー!」と私を呼ぶ、マコちゃんの元気な声が残っている。一生忘れることはできない。
マコちゃんと出会ったのは昭和50年、今から44年前のこと。あっという間の44年だった。きっとこれからの44年の方がもっと早く過ぎることだろう。
44年後、私はたぶんもうあの世にいると思う。そうしたらマコちゃんと再会して、また小学校4年生だったあの時のように「としこブー!」と呼んで欲しい。そして一緒に男の子みたいに大声で騒いだり遊んだりできるのではないかと楽しみにしている。
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