(横須賀写真ライブラリより)
新興住宅地に急遽できた望洋小学校は、はじめは校歌もなかった。
けれどある日、担任のS先生から「校歌を全校の生徒で作ることになりました」というお話があった。生徒それぞれが詞を考えて提出し、その中で一番いい作品を校歌にするということだった。
5.6年生も同じように歌詞を考えて提出するのだから、私たち4年生はがんばらなくてはいけない。私も一生懸命、自分なりに歌詞を考えて〆切までに提出をした。
他の生徒たちも同様だった。中には家に持ち帰って親に考えてもらった作品を提出する子もいた。やはり大人が考えた歌詞はとても良くできているけれど、「子供らしさがない」ということで、すぐ先生たちにははじかれてしまったらしい。
結果として同じクラスの女の子、奥田さん(仮名)の作品がみごと選ばれた。
「山の上に 建っている
眺めのいい 小学校
富士山見える 船見える
みんなの みんなの 望洋小」
素直で、かつ情景があざやかに浮かんでくる素晴らしい作品だと思う。大人になった今、あらためてそう感じる。
2番の歌詞もあって、サビの部分は「大きくなるぞ 望洋小」だったと思う。最初は生徒の数も少ない学校だった。4年生も男子が15人、女子が7人しかいなかった。それが毎月のように転校生が増えていき、どんどん大きくなっている最中だった。
奥田さんは日頃から勉強ができて、作文も一番上手だった。大人っぽく、性格も穏やかな人だった。
私はまだ小学校4年生の頃は、本当に子どもで、いつも男の子に混じって大騒ぎしているようなタイプだったので、奥田さんのことを同級生ながら尊敬していた。
奥田さんは自分の作品が選ばれたにもかかわらず、大騒ぎをせず、とても謙虚な感じだったことを覚えている。
その後、歌詞には少し改変があった。「大きくなるぞ」はとてもいい歌詞だけれど、いつかは規模も固定するから、等の議論が先生たちの間であったらしい。
しかし今でも望洋小学校の正式な校歌として歌い継がれているようである。先日検索をしてみたら、望洋小のサイトがあり、メロディだけではあるが、校歌として掲載されてあった。
奥田さんとは大人になってから同窓会で何十年ぶりに再会した。昔と変わらずしっかりしていて、いつも同窓会ではまとめ役をかって出てくれる。おだやかで大人っぽい雰囲気も変わっていなくてとても嬉しかった。
校歌を作った時の話を聞いてみたら「歌詞の改変で、結局私が考えた部分は大幅に減ってしまったのだけれど、S先生が私の名前を作者として残すために、いろいろ奔走してくださったそうなの」とのことだった。
担任のS先生は、以前、年賀状の書き方の回で「とても厳しく、怖かった」という話をした。しかしとても生徒思いで熱心な先生でもあった。奥田さんの話を初めて聞いて「全く知らなかった!」と驚いた。大人になってからそんな裏話を聞くのも楽しいことである。
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