2019年2月23日土曜日
4.わたしのしょうらいの希望
小学校4年の時の担任のS先生は、当時「かもめ」という父兄向けの通信を毎週ガリ版で印刷・発行していた。週に2回の時もあったように思う。とにかくまめで几帳面で教育熱心だった。
上の写真は、「かもめ」に掲載された、私が作文で書いた「しょうらいの希望」である。この時は私だけではなく全員の作文が掲載された。数年前の同窓会の時、S先生が参加者全員にコピーを持ってきてくれた。S先生の字は、ガリ版の原紙のマス目にきっちりおさまるように書かれていて読みやすい。几帳面な人柄がにじみ出ている。
内容を読んでみると、もうこの頃から私の文章スタイルは今とほとんど変わっていないことがわかる。母のセリフで状況を伝えているところなどは、このブログと全く同じである。
3年生の時の「小さい子」というのは、錦糸町のさくらちゃんのことだろう。50を過ぎてこんなブログを書いていることを思うと、私の原点はそこにあって、結局戻ってくるのはそこなのだという気がしている。
ところで「ようちえんなんて、小さい子のめんどうで、たいへんだぜ」という2番目のセリフは誰が言ったのだろう。「ぜ」という語尾から、男の子だろうと推測されるが、これはたぶん、同じクラスの永岡有二くん(仮名)ではないかと思っている。
永岡くんは同じ団地の中で、私が住んでいた棟の隣の棟に住んでいた。背が高くがっちりした体格で、声も大きく元気な男の子だった。しょっちゅう私をからかったり、ちょっかいを出したりする、いわゆる「悪ガキ」だった。このセリフはその頃の関係性からも、いかにも永岡くんが言いそうなセリフである。
小学校4年生くらいになると、男の子よりも女の子の方が少し大人っぽくなってくる。いつも私は永岡くんのことを「うるさいなぁ、しょうもないなぁ」と思っていたけれど、中学に入ると、永岡くんは急に勉強ができるようになって、その後20歳の同窓会の時には、いつの間にか国立のH橋大学に入学していて驚いてしまった。
今ではビジネスマンとして偉くなっているけれど、同窓会で会うと永岡くんと私との会話は小学校4年生の時と変わらない。同級生って本当に不思議な存在だと思う。
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