上の写真は、私が小学校2年生の時に書いた作文である。2年から3年に上がる時、クラス替えがあったので文集を作った。この頃は全てガリ版刷りで、この文集も生徒それぞれがガリ版原稿を書かされた。黒いシートの上に、半透明でマス目の付いたシートが付いていて、マス目に沿ってガリガリと字を書くと、下の黒いシートが削れて、原稿が出来上がるしくみである。
この時、作文のお題は何でもよかったと思うのだが、私はさくらちゃんのことを書いている(さくらちゃんは仮名。写真には本名が入っている)。まだ引っ越しが決まる前の年の話だが、さくらちゃんが4日間だけ田舎に遊びに行ってしまうことを「さびしくなる」と書いている。
この時のさくらちゃんは「田舎に遊びに行けるからうれしそう」だった。しかし1年後、私の引っ越しが決まったことを告げた時は、毎日のように「とこちゃんがいなくなったらさびしい、さびしい」と言い続けていた。
私も妹のようなさくらちゃんと毎日会えなくなることは信じられなかったし、とても悲しかった。さくらちゃんを悲しませてしまうことに対して、責任のようなものも感じていた。
そこでさくらちゃんを何とか悲しませないようにと、苦し紛れに嘘をついてしまったのだった。
「うちの次に引っ越してくる家族にもね、お姉さんがいるんだよ。だから大丈夫」
実は、うちの家族が引っ越した後には、父の妹の知子おばちゃんが独身で住むことが決まっていた。知子おばちゃんは、この一連の物語の第10回にも登場している人である。小笠原に行く父を見送るため、港で私を抱っこしている写真も掲載した。
知子おばちゃんは私より17歳年上なので、昭和49年当時は26歳だった。若いけれど、子どもからしたら「お姉さん」と呼ぶには無理があった。どちらかと言うと母親たちの年齢に近かったから、さくらちゃんからしたら明らかに「おばさん」だったと思う。
私は良心の呵責を感じながらも、心の中で「ううん、知子おばちゃんは、まだ結婚してないし、お姉さんって言えると思う」などとつぶやき、自分を納得させようとした。
その数日後、私の家に遊びに来ていたさくらちゃんは、母にこう聞いたのだった。
「ねえ、おばさん、今度とこちゃんが引っ越した後に、引っ越してくる家族にはおねえさんがいるんでしょ?、とこちゃんに聞いたの」
私はドキッとして、下を向いた。母が私の顔をじっと見たような気がした。その時の母は、肯定も否定もしない、あいまいな返事をしたように思う。
あの時の恥ずかしかった気持ち、嘘をつくことはいけないという後悔、でもさくらちゃんを慰めるためには仕方がなかったんだという葛藤。まだ9歳だった頃の気持ちだけれど、鮮明に覚えていて忘れることができない。
結局、私が引っ越した後、知子おばちゃんだけが引っ越してきて、さくらちゃんはどう思ったのだろう。きっとがっかりしたに違いない。期待をさせておいてがっかりさせることほど酷なことはないと思う。本当にあの時はごめんね。
私9歳。さくらちゃん5歳。
足が長いさくらちゃん、今では私よりも10センチ以上大きい大人になりました。
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