2018年12月12日水曜日
41.番長になれた?弟の初恋?
第35回で「弟が番長になれなくって登園拒否をした」という話を書いた。入園当初はそうだったけれど、年長組に上がる頃には、番長、というか一番のリーダー的存在にはなれたのではないかと思っている。
リーダーは、ただ腕力が強いだけではなれない。優しさとか信用とか、それに仲間だけではなく、上の人にも気に入られないとリーダーにはなれない。
弟は赤ちゃんの頃から女の子や女の人(オバサンも含む)にとても好かれる男の子だった。全ての女性に愛想がよく、まめで親切にすることを恥ずかしがらないからだと思う。だから弟は、幼稚園で担任の先生以外にも人気があった(先生は全員女性)。別なクラスの若い先生からも弟に年賀状が届いたりして、母は非常に驚いていた。
墨田二葉幼稚園では、毎年年長組の園児たち全員で鼓笛隊を作るのが習わしだったが、弟は、鼓笛隊の大だいこ担当を指名された。大だいこは鼓笛隊のトップで、一人だけのパートである。たぶん先生たちからリーダーとして認識されていたからだと思う。
2枚目の写真で、大だいこの弟の前に写っている女の子が、指揮を担当しているマリコちゃんである。指揮者も通常、一番しっかりした子が選ばれるパートである。マリコちゃんはかわいくて、幼稚園生ながら本当にしっかりした女の子だった。写真には背筋をしっかり伸ばし、堂々と指揮棒をあやつるマリコちゃんの姿が写っている。
これは私の推測だが、マリコちゃんは弟の初恋の人だったと思っている。同じビルに住んでいたマリコちゃんと弟は、よく家を行き来していて仲良しだった。女の子に優しい弟だから、たぶんマリコちゃんも好意を抱いていたのではないかと思う。
ところでその頃の私はというと、小学校一年生から三年生の間は、特に好きな男の子はいなかった。男の子たちに混じって紅一点で遊ぶこともよくあったけれど、好きという感情は全くなかった。
幼稚園の時は「隊長」にあんなにぞっこんだった私だが、残念ながら錦糸小学校には好きなタイプの男の子はいなかったようである。
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