清澄庭園かどこか。
一見しっかりしているように見えるけれど、
忘れ物をよくしていた2年生から3年生の頃
この一連の昔話を友人に読んでもらい感想を聞くと「よく昔のことを覚えているね、記憶力がいいんだね」と言われる。
しかし小さい頃の私は、いつも何かしら考え事をしていてぼーっとしていた。あまりにもぼーっとしているので母が心配して「何考えているの?」と話しかけると、「あの雲、象さんみたい」と私は空を指さしながら答えたという。
日曜日にはよく家族で清澄庭園や里見公園などへ遊びに出かけることがあったが、到着した途端、私は「ねえ早く帰ろうよ」とつまらなそうに言って、よく両親に叱られた。現実にどこかに遊びに行くよりも、頭の中で空想しているほうが好きだったのかもしれない。自分ではあまり意識していなかったが、現実逃避をしているちょっと変わった一面もあったのだと思う。
そんな私は、小学校に入ってから忘れ物をすることが多かった。宿題だったり、提出物だったり。自分では「次は気を付けよう」と思うのだが、忘れ物をする癖はなおらなかった。
3年生になると、クラス替えがあり、同時に担任の先生も替わった。1.2年生の時は若くて優しい長田美代子先生だったけれど、3年生になると50代のベテラン、川端志津先生が担任になった。
川端先生は教育に厳しいことで有名だった。勉強だけではなく、生活習慣に関してもしつけをきちんとする方針だった。掃除のしかた、雑巾の絞り方なども川端先生は事細かに教えてくれた。忘れ物に関しても厳しく、忘れ物をした生徒の名前を棒グラフにして教室の後ろに貼りだしていた。1つ忘れ物をすると、自分の名前の棒に自分で書き加えるシステムになっていた。
私は自分の名前が貼りだされるのは恥ずかしいと思ったけれど、どうしても忘れ物をしてしまう癖は治らなかった。それでもあまり悩んでいたわけでもなく、母にも相談せず、内緒にしていた。
しかしある授業参観の日に、母はそのグラフを目の当たりにしてしまったのだった。何とその時、私は忘れ物の数が他の誰よりもダントツで多く、棒グラフが一人だけひょーんと高い状態だった。母は他のお母さんたちの前でとても恥ずかしい思いをしたと言う。
その後しばらく母は、私が学校に行くときに「忘れ物はないの?」と聞くようになった。しかしそれはあまり意味をなさなかった。「宿題が出されたこと」自体を忘れてしまっているのだから。常に私の返事は「忘れ物?ないよ!」だった。そして学校で授業が始まると「ああ、今日も忘れ物をしてしまった」と気付くのであった。
そんな子供だった私が今、学校で教員をやっているのだから、人生は本当にわからないものである。
0 件のコメント:
コメントを投稿