小学校2年生ごろ。母方のいとこたちと。
灯篭の隣が私。
昔はいとこがいっぱいいた時代でした。
アグネスのファンになったのは、たしか小学校1年生から2年生の頃だったと思う。あの頃のアグネスは20歳前後だっただろうか。妖精のような容姿と、舌足らずな高い声が本当にかわいかった。
私は10チャンネルで毎週夜8時から放映されている「ベスト30歌謡曲」という番組が楽しみで仕方がなかった。司会は愛川欽也だったと思う。アグネスが白い衣装で「草原の輝き」や「ポケットいっぱいの秘密」などを歌う姿は本当に妖精のようだった。(その頃ガロの「学生街の喫茶店」などもよく1位になっていた)。
私は毎月、小学館の「小学1年生」や「小学2年生」を買っていて、付録だった歌謡曲の歌詞を書いた本を大切にしていた。それを見ながらよく部屋の真ん中でアグネス・チャンの歌を歌っていた。直立不動でマイクを持つしぐさをしながら、アグネスになりきって高い声でものまねをしていた。
観客は母と弟だけ。というか錦糸町の家は1DKワンフロアのとても小さな住まいだったので、母と弟は私の歌を強制的に聞かされていたのだった。母に「その変な歌い方はやめたほうがいい」とよく言われたけれど、まったく聞く耳を持たない私だった。
クラスの同級生の中にも、アグネスのファンは多かった。「みつ」こと三矢久美ちゃん(仮名)もファンの一人で、彼女とはアグネスの話題で仲良くなっていった。
錦糸小学校の同級生の家は、お店や会社を営んでいる家が多く、みつの家は肉の卸売業を営んでいた。彼女の家に最初に遊びに行った時は驚いた。家の建物に入ると、牛だか豚だかの大きな胴体の半身がたくさんぶらさがっていたのである。その肉の間をすりぬけて私たちはみつの部屋に行き、アグネス・チャンの歌を一緒に歌ったりして楽しんでいた。
みつは私の狭い家にもよく遊びにきてくれた。歌を歌う以外、何をして遊んでいたのかはあまり覚えていない。しかしわりと遅くまで二人で遊んでいたらしい。
母は「5時ぐらいになって、みつに『そろそろお母さんが心配するから帰った方がいいんじゃない?』と言うと『ううん、心配しないから大丈夫』と言って帰らなかったのよ。おうちでご商売をしていたから、ご両親も忙しかったのかしらね。暗くなるし心配だったけれど、それよりもあまり遅くなると夕飯を出してあげた方がいいかしら、なんてことも気になっちゃって。その頃うちは本当にぎりぎりの生活だったから、お魚だとか、食べ物も人数分しか買っていなかったの」と言う。
そんなささいなことを覚えている母に驚いた。子どもの私は一度もひもじい思いをしたことがなかったけれど、あの頃の母は子どもにそう思わせないよう、一生懸命やりくりをしていたのだ。有難いと思う。
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