パンダのボールを膨らませている父と私。
父はくだらない冗談を言ったり、おどけたりするのが好きだった。
1972年には上野動物園にパンダが来て、日本でもパンダブームが巻き起こった。私たち子どもも「ねえ、上野動物園に連れて行ってよぉ、ランランとカンカン見たいよぉ」と毎日のように親にせがんでいた。
すると父が「うえの動物園の他に、したの動物園っていうのがあるんだよ。上野動物園の下にあって…」と、話をはぐらかしたことがあった。私はそれをしばらく信じていて「どんな所だろう、いつか行ってみたい」と思っていた。そんな父の他愛のない冗談を信じてしまう頃もあったなんて懐かしい。
ところで本当の上野動物園にパンダを見に行ったのは、日本にパンダが来てから半年程度経った春休みの頃だった。家族4人ではなく、赤西家・宇崎家のおばさんと子供たちで一緒に行った。うちの母と私、弟、赤西のおばさんとさくらちゃん、宇崎のおばさんとじゅんくん、そして1971年に生まれたじゅんくんの妹、ひとみちゃん。総勢8名で錦糸町から上野までの小旅行だった。
上野動物園はとにかく大勢の人たちでごった返していた。パンダの檻の前には、長い長い行列ができていたけれど、やっとパンダが見れるという嬉しさで、そんなことは全然気にならなかった。
「あともう少しでパンダが見れる」という時はドキドキしたけれど、実際に見れたのはほんの一瞬だった。ガラスで仕切られた部屋の奥の方に、じっと動かないランランとカンカンがいた。というよりも「たぶんあれがランランとカンカンじゃないか」という程度にぼやけた姿だった。
何しろ人間たちの熱気で、ガラスは曇ってしまっているし、係員の人が「はーい、止まらないで、そのまま歩いて進んでくださーい」と大声で叫んでいるので、しっかり見る間もなく、前をさらっと通り過ぎただけだった。可愛かったかどうかなんて全くわからない。今でも初めてのパンダの印象は「曇ったガラス」しか思い出せない。
それでも建物の外に出てきた時は「実際にこの目でパンダを見たんだ」という気持ちで子どもながらに興奮していた。
さくらちゃんはこの頃まだ3歳くらい。この日のことを覚えているらしい。「迷子になって、迷子預かり所で待っていたら、うちのお母さんじゃなくって、じゅんくんのお母さんが迎えに来てくれたことがすごく悲しかった」とのこと。やはりパンダのことはあまり覚えていないらしい。
それでも私たち子どもは、日本にパンダが来た時に上野動物園に見に行ったんだということ、そして思い出を語れるのはありがたいことだと思っている。お母さんたちは小さい子どもたちを連れて大変だったと思う。感謝している。
0 件のコメント:
コメントを投稿