用賀のおばあちゃんの家の前で。
いとこのまみちゃん、晴くんと一緒に。
生きて健康でいること。それを普段は当たり前のようにして暮らしているけれど、本当に有難いこと、感謝すべきことだと思う。小学校1年生で天国に行ったクラスメイトのトク。本当に悲しかったトクとの別れを思い出してあらためてそう思った。
子供の無事と成長を感謝し、お祝いする七五三。これができることも本当に有難いことだと思う。うちでは昭和47年、私が満七歳、弟が数えで五歳の年にやっている。
母の記憶によると「この日はスケジュールが忙しくて大変だった」という。まずは、早朝に私と弟をたたき起こし、私を着付ける。
そして親せきに配るお赤飯を、注文していたお店まで取りに行く。うちはいつも錦糸公園の前にある「玉川屋」でお赤飯を買うことにしていた。
ここのお赤飯は絶品で、お団子などの和菓子などもおいしい。このお店の娘が、私と錦糸小学校で同級生だった(数年前に錦糸町に行ったら、お店は昔と全く同じたたずまいだったので嬉しくなった)。
それから亀戸天神でお参りをして、天神様の中にある「福地写真館」で記念撮影。この福地写真館も現存しているらしい。
先日、母が写真館で撮った写真を見て「あら、お父さんも写ってる」と言った。もちろん4人家族なのだから父も写っていて当然なのに。「何だかこの日、お父さんが一緒だった記憶がないの。でも考えてみたら、お赤飯とか、千歳飴とか、私一人で持って行けないし」。いつもながら父は空気のような存在だったらしい。
その後、用賀のおばあちゃん、晴くんの住む家へ。それが上の写真である。瀬田に住んでいるいとこのまみちゃんも来てくれている。まみちゃんと晴くんが持っている千歳飴はうちから持っていったものだと思う。たしか江東デパートの中の文明堂で買った記憶がある。私と弟はずいぶん腫れぼったい顔をしている。早朝にたたき起こされ着付けをされて、電車の中で寝ていたのだろうか。
着物は、二子玉川に住むいとこの寛子お姉ちゃんのものを借りている。だから用賀に行った後は、二子玉川まで行って着物を見せて、そこでも記念撮影をしている。
うちの父は車を運転しないので、移動は全て電車だった。この頃、渋谷から用賀まではたしか電車が通ってなくて、バスしかなかったと思う(もし違っていたら教えてください)。
私は子どもだったから、ただ両親にくっついて歩いただけで、それほど大変だとは思わなかった。きれいな着物が着れたのはとても嬉しかった。最近着物を着始めたのは、この時の原体験があるからだろうか。
母も大変とは言いながらも、その後、風邪もひかず元気だったからやはり若かったのだ。まだこの時は33歳だった。
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