1年の時の遠足。
前列、何か食べている子の隣が私。
いとこの晴くんが交通事故に遭ったという話をしたが、昭和40年代は錦糸町の近辺でも交通事故が非常に多かった。そのため錦糸小学校の生徒は、自転車に乗ることを禁止されていて、私は小学校高学年になるまで自転車に乗れなかった。
通学路には「緑のおばさん」がいつも立っていて私たちの安全を守ってくれていた。幸いにして私は交通事故に遭ったことはなかったが、1年生の時、クラスメイトの「トク」こと徳田初美ちゃん(仮名)が、ある日交通事故に遭い、還らぬ人となってしまった。
トクは大人しい女の子で、あまりおしゃべりもせず、いつも控えめにニコニコしていたことを覚えている。上の写真を見るとトクのことを思い出す。私のすぐそばに写っているトク。この写真からも何となく控えめだったトクの雰囲気が伝わってくる。
トクが交通事故に遭ったということは、学校で担任の長田先生が教えてくれた。今は病院にいて治療中とのことだった。私は詳しくは覚えていないけれど、母の記憶だと輸血のために協力してくれる人を募ったりしたようである。
トクが事故に遭ってから数日経った日曜日に、クラスの連絡網でうちに電話がかかってきた。母は電話を取り、連絡内容を聞いて受話器を置いた。そして沈んだ声で私に「トクが亡くなったそうよ」と伝えた。
私はそれを聞いて涙が止まらなくなった。トクが死んじゃうなんて。どうして。かわいそうなトク。まだ7歳なのに。私はタオルを手に、トクのことを考えながら長い間泣いていた。
その電話がかかってきた時、ちょうど父と弟は外に遊びに行っていた。しばらくして帰ってきた時に、父は私が泣いている姿を見て「何メソメソしてるんだ!」といきなり怒鳴った。母が「クラスの子が亡くなったのよ」と静かな声で伝えると、父は「そうか」と言ったきり黙ってしまった。
なぜそのようなシーンをはっきり覚えているのかはわからない。それ以外のこと、トクのお葬式には行ったのかどうかとか、登校した時に先生からどんな話があったのかといったことは一切覚えていない。
今は天国にいるトクだけれど、昭和47年にはこの世にいて、一緒のクラスで仲良くしたことを私は覚えている。忘れていない人がここにいるということを、トクやトクの家族の人に伝えたいと思う。
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