山車を引いているところ。
弟、いとこの晴くん、私。
弟、いとこの晴くん、私。
写真は、夏祭りの時、山車を引いているところを撮ったもの。後ろに写っているのは昭和20年代から30年代ぐらいに建てられたと思われる木造の家屋。左の女性の後ろあたりには「亀戸天神社 大祭」という張り紙も見える。
錦糸町では夏祭りの時、夜は盆踊り、昼間は子どもたちが山車を引く行事があった。山車は数時間かけて街中を練り歩き、途中で数回休憩があってお菓子をもらえるのが楽しみだった。そのため山車を引きに行く時は必ず手提げを持っていく。
写真でいとこの晴くんが持っているのは、母の手作りの手提げである。この日は晴くんに貸してあげたのだろう。幼稚園に入る時に作ってもらって、小学生になってからも長く愛用していた。図書館に行くときなども使っていたし、いつも私のそばにあった気がする。今どこにあるのだろう。捨ててしまっただろうか。やわらかな生地で手触りがとても良く、きれいな裏地もついていたことを思い出す。
晴くんは毎年、この錦糸町のお祭りの時に遊びにきてくれたようで、他にも写真が残っている。
下の写真に写っているのは、別の年に山車を引いているところ。こちらは都会らしい背景が写っている。左から、さくらちゃん、私、晴くん、さくらちゃんのお母さんの好江さんである。この時、私が持っている手提げと、好江さんが持っている手提げは、たしか母が作ったものだったと思う。赤いチェックの生地に白いフリルがついてた。母は私の服の他に、手提げなどの小物もよく作っていて、まわりの人にプレゼントしていたことを思い出す。
晴くんは昭和40年の早生まれ。私より1学年上だった。用賀に住んでいて、よく用賀のおばあちゃんと一緒に錦糸町の家に遊びに来てくれた。とても優しくて、陽気で、ちょっと肥満児の愛らしい晴くんが遊びに来てくれる時はいつも楽しみだった。
そういえば晴くんは幼稚園の頃、交通事故でバキュームカーにひかれたことがあった。しばらくして元気な晴くんに会えたので、大きな事故ではなかったと思う。
母から「晴くんがバキュームカーにひかれたらしいの」と聞いた時には、思わず「えっバキュームカー?(笑)」と少し笑ってしまった。晴くん、ごめんなさい。そしてこんなところで黒歴史を披露してしまって申し訳ありません。でも時効だと思うし、優しい晴くんだからきっと許してくれると思う。
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