錦糸町の家のベランダで
このブログでは既に沢山の恥ずかしい思い出を書いてきた。書いているうちに、自分のことというよりも、自分の孫(娘より)のことのように思えてきている。錦糸町に住む6歳の孫、トコちゃんという自由で元気な女の子の話を書いている気分になってきている。もう時代も変わり、あまりにも昔のことすぎて、自分と繋がっているように思えないというのが正直なところである。
ということで今回も恥ずかしい、でも懐かしい思い出を書いていきたいと思う。
写真は私が弟の匂いを嗅いでいるところである。小さい頃の弟はミルクのような本当にいい匂いがして、私はいつもこのように弟の匂いを嗅いで楽しんでいた。しつこく匂いを嗅ぐので、弟は嫌がってよく泣いていた。私が弟を泣かしている現場の写真も残っている。今は弟もオジサンになってしまったけれど、この頃は本当に可愛かったなぁ。
他にも恥ずかしい思い出はいっぱいある。住んでいた錦糸町のビルの前に、「サルビア」という喫茶店があって、お店の前の花壇にはサルビアの花が植えてあった。誰かが「サルビアの花を引っこ抜いて吸うと甘いんだよ」と教えてくれた。私たちビルの子どもたちはみんな、その喫茶店のサルビアの、中心に突き出た花弁を引っこ抜いてチュウチュウ吸っていた。今思えばあの頃の東京の空気汚染は今よりもひどかったのではないだろうか。お店の人に見つかったことはなかったけれど、見つかったらこっぴどく怒られたことだろう。
それから幼稚園の頃の最も恥ずかしい記憶といえば、トイレに間に合わなかった日のことである。それはある冬の日の出来事だった。寒かったので私はお気に入りのピンク色のつなぎを履いて、その上に制服のスモッグを着て出掛けた。
たぶんお昼頃だったと思う。私は寒くて急にトイレに行きたくなった。それほど急を要していたわけではなかったが、トイレの個室に到着した瞬間に安心してしまったのだ。そこからスモッグとつなぎを脱がなくてはいけなかったのに、幼稚園の子にとって、それは手早くできるものではなかった。結局、間に合わずに漏らしてしまった。
あの恥ずかしい記憶を、私はしばらく引きずっていた。お気に入りのつなぎはしばらく履けなくなったし、トイレには早めに行く習慣が身についた。今でも「個室に入ったからと言って油断しちゃダメ」と自分に言い聞かせている。これはきっと老後に役立つだろう(笑)。
最後にもうひとつ。ウ⚪コを漏らしたことはなかったが、こどもの頃、私たちは「ウ⚪コ公園」と呼んでいた公園があった。今は犬の散歩の時、飼い主には厳しく「お持ち帰り」が義務づけられている。しかし多くの大人は覚えていると思うけれど、それはほんの少し前までスタンダードではなかったのだ。そういうわけで、ちょっと人通りが閑散としていたその公園は、そのような「愛称」で呼ばれていた。これも昭和ならではのエピソードのように思う。
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