2018年10月4日木曜日

15.チンチン電車で通った幼稚園

卒園式の私。
クリーム色のスモッグが制服。

 墨田区立緑幼稚園に入園したのは私が5歳の時。1年保育の幼稚園だった。幼稚園には都電に乗って通っていた。錦糸町地域の都電は1年後に廃止になってしまったので、私が通園に都電を使うことができたのは、最後の貴重な経験だった。
 都電はとても懐かしい。「チンチン」という音、床は板張り。運転手さんが動かすハンドルは一本のレバーみたいになっていて、それを右や左にグルグル回していた。いつも一緒に付いてきた弟と、運転手さんや車掌さんを観察していた記憶がある。
 弟は家でも都電ごっこをしていた。台所のおたまをレバーに見立て、運転手さんになりきる。時には車掌さんまで一人二役で「次は錦糸町、錦糸町」などと言いながら遊んでいた。
 入園してすぐに仲良くなったのは二三江ちゃんという女の子だった。二三江ちゃんのお父さんは国鉄に勤めていて、錦糸町の駅の近くの社宅に住んでいた。遊びに行ったこともある。三歳上のお姉さんがいて、二三江ちゃんも何となく私よりもお姉さんっぽくしっかりしていた印象がある。
 緑幼稚園は両国の近くにあった。年末には若いお相撲さんが5人くらいやって来て、臼と杵でお餅つきをやってくれた。これは緑幼稚園ならではのイベントだったのではないだろうか。
 クリスマスのイベントもあった。上の写真で私に卒園証書を渡している校長先生がサンタクロースになって子どもたちにプレゼントを渡してくれた。
 幼稚園のすぐ横には区立の緑図書館もあった。私はその図書館に通うのが一番の楽しみだった。本を読むことが好き、文章を書くことも好き、読まずにいられない、書かずにいられない私の萌芽がすでに幼稚園時代にあったと思っている。
 一年保育だったけれど、たくさんの出来事があって、いくつかは忘れず記憶にとどめている。初恋「のようなもの」もあった。それからお気に入りのピンクのつなぎを履いて行った日に、トイレですぐ脱げなくてお漏らしをしてしまった記憶もある。また回を改めて書いて行こうと思っている。(つづく)

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