2018年10月7日日曜日
16.父とのささいな日曜日の思い出
錦糸公園は錦糸町の駅から歩いて3分くらいのところにある総合公園である。体育館や野球場もあったと思う。
幼稚園生の頃、ある日曜日に父と手をつないで錦糸公園を散歩していた記憶がある。何かのイベントがあったのだろうか、詳細は全く覚えていないのだが、公園の出入口付近の砂利道を歩きながら、とにかく父の手のつなぎ方が痛くて嫌だったのである。ただ手をつなぐだけでなく、私の手をぎゅうぎゅう揉むというか、触るというか。
「お父さんの手、痛い! つなぎたくない!」
私は父から手を離すけれど、錦糸公園は大勢の人でごった返していたから、やはりつないでいなければいけない。
「ごめん、ごめん」父は謝って、しばらくは普通に手をつなぐけれど、またすぐにぎゅうぎゅう揉むつなぎ方になってしまう。一体あれは何だったのだろう。錦糸公園の日以外でも、父の手のつなぎ方はいつも同じようだった。
他界する前、父が病気で寝ている時、小さく力のなくなった父の手を握りながら、昔の父の手を思い出していた。なぜあんなつなぎ方をしたのか聞こうかと少し思ったのだが、涙が出そうで聞けなかった。でも父も昔のことで覚えていなかったかもしれない。
これを読んでいる人で同じような思い出がある人はいないだろうか。もしくは自分がお父さんの立場で、うちの父の気持ちがわかる人がいれば教えて欲しい。もしかしたら娘の小さな手がかわいくて、ぎゅっと触りたかったのだろうか。
休みの日の父は、家では大体囲碁をやっていることが多かった。日曜日の昼下がり、うちのテレビではいつもNHK の囲碁番組がついていた。
父の弟、私たちからすると叔父さんも囲碁が好きで、一時は碁会所を経営していたこともあった。兄弟で小さい頃、おじいちゃんか誰かに教わったのだろう。そんな話も聞いておけばよかった。
私も弟も父から囲碁を教わることはなかった。教わってみたら囲碁にはまっていただろうか。いや、そんなこともなかった気もするが、今となっては一度も教わろうとしなかったことを少し後悔している。
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