写真は弟とさくらちゃん。夏祭りの時の山車を引いているところ。弟のシャツ、そしてさくらちゃんのワンピースはうちの母の手作りである。写真が古くて不鮮明だが、ワンピースは薄茶色の地に白いちょうちょの柄だったと記憶している。弟のシャツは白地にブルーの水玉。カルピスの包装紙に似ていたように思う。
私の着ていた服は母の手作りが多かった。そして私が大きくなって着られなくなると、さくらちゃんに「おさがり」として大事に着てもらっていた。
うちの母は編み物も得意で、セーターの他、ジャケットとスカートを編んでスーツとして着ていたりもした。「婦人倶楽部」の付録に、よくワンピースや編み物の型紙が付いていて、母はそれをもとに洋服を作っていた。
あの頃は、そのようなお母さんも多かったのではないだろうか。さくらちゃんの右に写っているのは宇崎じゅんくんのお母さんである。よく見ると着ているワンピースの柄がお手製のようである。
私は小さい頃、標準の子どもよりも小さめだったので、母は必ず私の年齢の型紙よりも2センチ小さいサイズで作るのがこだわりだった。大きく作れば長く着られて経済的だと思うが、それは母の美学に反することだった。
私が大人になってから体に合わない既製服を着ていると「そんなブカブカなのはダメよ。小さい頃、お母さんは必ずぴったりのサイズで作ってあげたんだから」と何度か誇らしげに昔話を聞かされた。
私は小さい頃、母のお手製の服をそれほど有り難いとは思わなかった。何となくお店で買った服やマンガのキャラクターが書いてあるTシャツを着ている子の方が羨ましかった。けれど今思えば本当に有り難い、幸せなことだったのだと思う。
母は裁縫の腕を生かし、私たち子どもが小さい頃、家でオンワードなど既製服の会社から内職の仕事を請け負っていた。それが後にある困ったことにつながるのだが、それはまた明日以降に書きたいと思う。(つづく)
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