2018年9月26日水曜日

9.雑巾が結んだ縁

 ここまで頭の中に浮かんだことを断片的に書いており、話が飛んだり、時系列ではなく、読みにくくて申し訳なく思う。とりあえず頭の中にあることを書き出し、あとで順番や形式を整えていく予定なので、今後も同じように書いていくことをお許し願いたい。
 今回は、先日書いた赤西夫妻のなれそめに関して事実がわかったので、それを書いておこうと思う。赤西夫妻は、お見合いではなく恋愛で結婚していたことが、娘のさくらちゃんの証言から明らかになった。
 浩行さんは、江東区にある某重工業メーカーの技術者だった。そして好江さんはその会社の生協で働いていた。独身で一人暮らしをしていた浩行さんは、ある日のこと、雑巾が必要になって、社内の生協に買いに行ったのだった。ひと通り店内を探したが、雑巾は見当たらなかった。
「雑巾はどこにありますか」。浩行さんはお店の若い女性に尋ねた。
 今でこそ雑巾は100円ショップなど、どこにでも売っていて、お金を払って買う人も多いけれど、昭和40年頃は古くなった衣類などを雑巾に縫い直して作る人が大半で、買う人はほとんどいなかった。案の定、その生協にも雑巾は売っていなかった。そこでお店の若い女性は下町言葉でこう答えたのだった。
「雑巾なんて買うもんじゃありませんよ、お客さん。家で縫うもんです。でも必要なら、私が縫ってあげますよ。明日でもよければ、今晩家で縫ってきますから」。そう答えたお店の若い女性こそが、好江さんだった。
 浩行さんは好江さんの、元気ではつらつとした感じ、面倒見が良く温かい雰囲気に心を奪われてしまった。真面目で優等生だった浩行さんが、こんなふうに家族以外の女性に親切にされたことは生まれて初めてだったかもしれない。
 そして翌日。浩行さんが生協に行くと、好江さんは約束した通り、雑巾を数枚縫って持ってきてくれていた。浩行さんは感激し、お礼に好江さんをデートに誘ったのだった。
 初めてのデートの行き先は上野動物園。その時に浩行さんは下駄を履いてきて、好江さんを驚かせた。帰りには東天紅で食事をした。
金額の高さに好江さんは驚いたが、真面目でしっかり貯金もあった浩行さんは「お礼だから」と全ておごってくれた。浩行さんの誠実な人柄と頼りがいのある感じに、好江さんも少なからず好意を持ったのだった。
 そして二人はめでたくゴールインし、数年後にはさくらちゃんが生まれる。さくらちゃんは「雑巾が結んだしょぼい縁」と笑うが、私はとても素敵なご縁だと思う。平成の時代、このような出会いはもうないだろう。後世にまで語り継ぎたい、昭和の貴重なエピソードだと思う。(つづく)





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