さくらちゃんのお母さん、赤西好江さんは、向島の生まれで、絵に描いたような下町のおばちゃんだった。
正確に言うと、こどもの頃は「下町の人ってこんな感じ」という一般常識は持っていなかった。大人になるにつれ、知識を得る過程で「あのおばちゃんは紛れもなく下町の人」と回想するようになった。元気で気前が良くて、気取らない。楽しいことが大好きで、ちょっと粗忽者。でも全然気にしない。サザエさんをイメージしていただくと一番近いかも知れない。
さくらちゃんのお父さんとお母さんは、たしかお見合いで結婚している。二人のおじいさんが第一次世界大戦の戦友だったらしい。
お見合いの当日、さくらちゃんのお父さんである浩行さんはゲタを履いて待ち合わせ場所に現れた。昭和30年代、男性が日常でゲタを履いている姿はよく見かける光景だった。しかし履き物だけではなく、服装も全く気取らない浩行さんだった。気の利いた会話もあまりなかったけれど、好江さんは実直な感じに惹かれ、後日お付き合いをしてみることになり、そして結婚までこぎつけた。
この話を子どもながらに覚えているのは、好江さんが何度か楽しそうに話してくれたからである。
好江さんは浩行さんのことを「ヒロちゃん」と呼んでいた。しかし江戸っ子なので発音は「シロちゃん」だった。「シロちゃんったら、お見合いの時にゲタ履いてきたんだからね、信じらんないでしょ」、という感じだった。
浩行さんは映画「男はつらいよ」が大好きで、封切り後には必ず錦糸町の楽天地で観賞していた。あの頃は寅さんの全盛期だったなぁ。それからクラシック音楽が大好きで、日曜日の午後は必ずNHK のFM 番組を聴いていた。事前に駅前の洋菓子屋さんでショートケーキを買ってきて、紅茶を淹れ、家族全員で美味しく食べる習慣があった。さっちゃんの姉同然の私は、赤西家の一員として、当然のようにケーキと紅茶をちゃっかりいただきながらクラシックを聴いていた。あの頃の日曜日は毎週本当に楽しかったなぁ。(つづく)
2018年9月18日火曜日
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