日光修学旅行が終わった頃、卒業制作の話が高梨先生からあった。
「何か6年1組として記念になるものを作って、小学校の中に残しましょう」
花壇を作るとか、遊び道具を作るとか、いくつか案があったと思うが、話し合いの結果、「トーテムポール」を作ることになった。1組として一本、2組として一本。計二本のトーテムポールを制作することになった。
「1組は、どんな柄にしたらいいと思いますか?」
その時私は手をあげて発言した。
「高梨先生の顔を、一番下に大きく付けるのがいいと思います!」
その案は採用され、とても嬉しかったことを覚えている。高梨先生のあだ名は「おにぎり」だった。おにぎりの形をした先生の顔が、1組のトーテムポールの下に鎮座することになった。
あれから42年。あのトーテムポールは今でも残っているのだろうか。
高梨麗子先生は、その後、50代で早世をされたと最近になって聞いた。あのキュートな体型に、もう一度会いたかったと思う。悲しい。さびしい。
私たちが5年生の時に生まれた赤ちゃんが、いくつの時に先生は他界されたのだろう。その赤ちゃんも今は40代になっているはずである。元気に暮らしているだろうか。
そして卒業式を無事に済ませ…
4月には中学へ入学。
矢印が私。
(写真は加工しています)
中学1年のクラスの担任の先生は、24歳、男性の国語の先生だった。
初日の先生の自己紹介のことはよく覚えている。
「好きな歌手は井上陽水です」
ちょっと頼りなさげな、その先生はうれしそうに言ったけれど、私は心の中で
(えー、逮捕された歌手なのに。学校の先生たるもの、犯罪者を好きって言っていいのかな)
などと思っていた。
その数年前、井上陽水は麻薬で逮捕されていた。今だったら「罪と人格は別」とか「学校の先生だって一人の人間」と考えられるけれど、その頃の私は純粋だった。今は大人になったと思う。というよりか、汚れてしまったのかもしれない(笑)。
中一のクラスの仲良しメンバーと。
犬を抱いているのが私。
中学になってからも、小学校の時のようにいろいろな失敗があった。入学早々、制服のブレザーを空き地の有刺鉄線に引っ掛けて、かぎ裂きを作ってしまったり。
一応縫って補修はしたけれど、きれいには直らなかった。仕方なく3年間、その恥ずかしい制服を着続けた。
中学に入ってからも、一番の親友はちっちゃんだった。だんだんと成長していくちっちゃんは急にきれいになって、男子から告白されることもあった。
一方、普通の私には、あまり浮いた話はなく、ちょっと格差を感じたけれど、ちっちゃんは小学校から変わらず天然キャラだったので、二人の関係性はずっと変わらなかった。
その後、高校も一緒で、高3の時には同じクラスにもなった。
高校を卒業した頃。ディズニーランドで。
昭和な女の子テイストが懐かしい。
右から3番目が私。
右から2番目がちっちゃん。
見違えるように大きくなりました。
今でも元気で仲良しです。
1年ばかりこのブログで、自分の子どもの頃を思い出してきました。昭和の時代が、いつの間にか遠い遠い昔になってしまったことに愕然とします。
私の話をきっかけに、それぞれの子どもの頃を思い出してくれたら嬉しいです。
私の話は今回で終わります。長い間おつきあいいただきありがとうございました。
この続きは、もうしばらく書けないと思います。中学からはほぼ大人になって、もう「今の自分」と同一人物なので恥ずかしくて書けません。(小学生までは、子どもすぎて、自分ではない誰かのことを書いていた気がします)
もっともっとおばあさんになったら中学以降の話も書けるかなぁ。いつになるかわかりませんが、ずっと先に、もしかしたら。
では、いつの日かまたここでお会いしましょう。
とりあえず、さようなら! (終)