2019年8月24日土曜日

30.演劇クラブに入る

 6年生になった時、授業とは別に全員が何か好きなクラブに属して活動する、ということがあった。 
 私は演劇クラブに入会した。その頃、思春期の女子の例にもれず、テレビドラマや芸能界にとても興味を持っている女の子だった。
 4年生の時は「将来は幼稚園の先生」などと書いていたが、高学年になると「どこかの劇団の舞台女優になって、その後はテレビで活躍」なんてことまでイメージしていた。人前で話したり、人に何かを伝えたり、感動させたりすることに興味があったのだと思う。
 ただ「美人女優」になれないことは幼い私でもわかっていた。だから大竹しのぶや樹木希林のような演技派に漠然と憧れていたのだった。
 上の写真の左の方に、シナリオらしきものを2人で持っている女子の1人が私である。一緒にシナリオを持っているのが5年生の時に転校してきたムラチこと村木宏美さん(仮名)である。ムラチは、おとなしいけれどしっかりしていて優しい感じの女の子だった。とても手先が器用で、その頃女子の間で流行っていたマスコット作りなども得意だった。
 右端に立っているサングラスをかけた上下黒の男性が顧問だった。6年2組の担任だった角田昭雄先生(仮名)である。
 角田先生は、ちょっとアングラ劇団の男優のようにも見えるが、特に厳しい指導があったわけでもなく、みんなで和気あいあいと「演劇ごっこ」をしていた感じである。頻度も隔週か、月に一度程度だったと思う。実際に何か劇を発表したとか、そういう記憶はない。
 中高の部活とは違って、他のクラブもゆるい感じで行われていた。たぶん中学に向けて、授業とは別の趣味活動への順応といった目的があったのではないだろうか。
 アルバムには、写真新聞クラブ、手芸クラブ、マンガクラブ、将棋クラブ、音楽クラブ、ポートボールクラブなど、多彩なクラブが載っていて、皆授業時間とは別な、楽しそうな笑顔を見せている。
「遊び研究クラブ」というのもあった。いつでも一緒だったちっちゃんは、遊び研究クラブに属していた。写真の一番手前に写っているのがちっちゃんである。両ひざに置いた手と笑顔がかわいらしい。
 遊びを研究するクラブ、とはいったいどんなことをやっていたのだろう。ちっちゃんに聞いたら「校庭で手つなぎ鬼をやったり、室内ではカルタや百人一首をやっていたような。いろいろな遊びをしていたよ。研究は特にしていなかったと思う」とのことだった。  
 たぶんクラブ活動の目的は、自発的に何か自分の好きなものを選んで取り組むこと、お友達づくり、みんなと協力したり、楽しんだりすることだったのだと思う。クラブ活動を通じて、数年後の中高の部活動などもイメージできたと思う。
 クラブ活動があったこと、アルバムを見るまでは実はすっかり忘れていたのだが、振り返ると意外と大事な経験だったのかもしれない。

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