左はじ、お琴の前に座っているのが私。
6年生の11月に、「横須賀市立小学校音楽会」が横須賀文化会館で開催されることになった。
市内の全部の小学校が集まって、合奏を行う大きな大会である。
私たちの望洋小学校は、軽快な「ぼくらの木馬は世界を回る」と、渋い「荒城の月」という対照的な2曲を演奏することが決まった。
大会の1か月ぐらい前から、パート決めが行われた。写真を見ると、笛、ピアノ、オルガン、エレクトーン、ピアニカなどを演奏する生徒たちがいる。
クラリネットを吹くオチャの姿や、フルートを吹く香澄ちゃん、ベースギターを演奏するヨネの姿も写っている。ヨネはベースを演奏するのは初めてだったらしい。オチャや香澄ちゃんも初めてだったのではないか。先生はあえて子どもたちにチャレンジをさせたのだと思う。
私はなぜか「琴」を担当することになった。お琴は習ってもいなかったし、なぜ私が担当になったのかは謎だが、たぶんその頃からこけしのような「和の雰囲気」を醸し出していたのだろう。あまり気分は進まなかったが、一応抜擢をされたということで頑張ろうと心に誓っていた。
数日後、学内の先生の知り合いで、お琴の先生をやっている松沢光枝先生(仮名)が、私の指導のために小学校に来てくれた。やさしいおっとりとした松沢先生の指導のもと、素人ながらもどうにか「荒城の月」のサビのフレーズが弾けるようになった。
曲の中で、私が演奏するのはそのサビの部分だけだったが、ソロで弾かなければいけないので目立つし、責任は重大だった。
そして当日。望洋小学校の出番が来る10分前くらいに、私はお琴のチューニングをしに舞台の袖の所へ行かなければならなかった。その時、担任の高梨麗子先生が
「一緒に行ってあげようか?」
と言ってくれたのだが、何となく手間をかけるのが申し訳ないような気がして
「いいです、大丈夫です」
と言ってしまい、一人でチューニングをすることになった。
袖の暗い所で、いつも通りのチューニングは難しかったけれど、
(だいたいこんな感じかな?)
と適当に合わせて済ませた。その時、望洋小の2つ前の小学校が演奏中だったので、お琴の高い音を出すと、聞こえてしまうような気がして、音を出して確認することができなかった。でも大丈夫だろうと高をくくっていた。
出番前、待機している私。
この後、悲劇が!
そして本番。いいかげんなチューニングのせいで、とんでもなく音の外れた「荒城の月」がソロで会場全体に鳴り響いた。最初に1,2音、弦をはじいた時に
(あっ、これはまずい!)
と思ったが、中断するわけにはいかず、外れた音のまま最後までフレーズを弾き続けた。もう、針のむしろの上に座っているような気分だった。
演奏が終わった後、誰かが気軽に
「ちょっと音が外れてたねっ」
などと笑って話しかけてくれることを期待していた。そうすれば
「えへへっ、失敗しちゃった」
と舌を出して笑い飛ばすことができたと思う。
しかし、期待に反して、先生も友達も、誰一人として私のお琴に関してコメントしてくれる人はいなかった。どうしようもなく落ち込んでしまった私だった。
私を抜擢してくれた先生方、お稽古をしてくれた松沢先生には本当に申し訳なかったと思う。そしてせっかくがんばって練習してきたのに、ぶちこわしてしまったことを、同級生のみんなにも大変申し訳なく思った。
かなり落ち込んでしまったけれど、基本的に脳天気なので、数日経つと元通りになって、またサワと真二君の話で盛り上がったり、ちっちゃんと元気に走り回ったりしていたように思う。
かなり痛い黒歴史。しかし「何事もいいかげんでは上手くいかない」という教訓も学んで、良い経験だったのではないだろうか。