横須賀の望洋小学校の授業で。
左が私。
小学校3年の話にさかのぼるが、通っていた錦糸小学校は、都会の真ん中にありながら、水泳の指導にかなり力を入れていた。
たしか1級から30級くらいまで細かくあって、30級の「顔を水に付けられる」から始まっていたと思う。しょっちゅう昇級テストがあり、1つ級が取れると、水泳帽に縫い付けるひもを1本もらうことができた。だから水泳が得意な子の帽子には沢山の線が縫い付けてあった。
(これは当時の都内の小学校の共通の指導方法だったのかもしれない。似たような記憶がある人は教えてください)
私はどちらかと言うと、水泳はあまり好きではなかったが、スパルタ教育のおかげで、10メートルの平泳ぎくらいはできるようになっていた。それは錦糸小学校の同級生の中ではかなり泳げない児童の部類だった。
水泳帽にもほとんど線を縫い付けることができず、水泳の授業の際には、恥ずかしい、肩身の狭い気持ちで臨んでいたことを思い出す。皆に成績がわかってしまう指導法というのは、頑張る原動力になるかもしれないが、苦手意識をさらに増幅させてしまう原因でもあるように思う。
小学校4年で横須賀の望洋小学校に引っ越してきて驚いたのは、海がすぐ近くにあるのにかなづちの子がけっこういたことである。だから新しい小学校の中では、水泳が得意な子の部類に入ってしまった。やっと楽しく水泳ができるようになった私だった。
望洋小学校は、創立当初、プールがなかったので、馬堀海岸にある市営のプールまで出かけて授業を行っていたことを思い出す。
そのプールは、まわりがローラースケート場になっていて、夏はプール、それ以外の季節はローラースケートという感じで、季節を問わず、授業以外でもよく遊びに行った思い出がある。夏休みの多くの時間を、あの馬堀プールで過ごしたのではないだろうか。
プールの後は売店でジュースやアイスクリーム、お菓子などを買って食べたことも楽しかった。フリトレーの「チートス」に出会ったのもあのプールの売店だった。今ではどこでも目にするが、昭和50年頃は珍しく、あのチーズ味が特別においしく感じられたものだった。
馬堀から少し先には、走水(はしりみず)海岸もあって、そこでもよく海水浴を楽しんでいた。横須賀に住んでいた時は、海や海岸、水泳などの夏らしさが身近にあった気がする。
今日は8月31日。夏ももう終わる。今年は水着を一回も着なかった。昨年水着を着たのは泳ぐためではなく、海外旅行の海岸でちょっとだけ水を触るためだった。
どっぷり水泳を楽しむことをしなくなってもう何年になるのだろう。