運動会の時に撮影。
放課後も男子達に混じって駆け回っていました。
矢印が私。
私たちはドロケイとか、ドロジュンと呼んでいたけれど、地域によって様々な呼び名がある遊びを、子どもの頃、誰もが一度はやったことがあると思う。メンバーを「泥棒」と「警察」の半分に分けてやる、鬼ごっこの一種である。 私がこの遊びを放課後に盛んにやったのは、小学校5年生の時だった。
前にも書いたように、5年生になった時、うちのマンション群の中に、新しく11階建てと7階建てのマンションが建設された。この2つのマンションが逃走の場で、牢屋はマンションの前にあるゴミ置き場だった。
毎回メンバーは全部で15人くらいだっただろうか。私とちっちゃん以外は全部男子だった。今までの話にも登場したカノキャン、ヨネ、永岡君、いいちゃんなどと一緒に駆け回っていた。
2つのマンションにはそれぞれ窓のあるエレベーターが付いていた。全ての階に停まるのではなく、3階おきくらいで、電車の急行のように通り過ぎてしまう階もあった。私が泥棒組でエレベーターを使って逃走している時、通り過ぎてしまう階に、誰か警察組の男子がいたりするのが窓から見えた。
「あ、としこみっけ!!」
「つかまらないよー、バイバーイ」
男子は必死に階段を使って追いかけてきたが、エレベーターには勝てなかった。とても悔しそうにしている様子が楽しくてしょうがなかった。男子達は運動の得意な、すばしっこい子が多かった。そんな彼らを出し抜くのは快感だった。
マエさんと呼ばれていた前園隆志君(仮名)は、後にバスケットボールの名選手になった。現在は某医学系の大学職員として活躍している。私も大学の仕事関係で前園君にはお世話になったことがある。
前園君は、昔から人の面倒見が良く、小学校の時から友達を大切にする男の子だった。以前書いたエピソード、4年生の時の話で、遠足の朝にヨネがふざけて「さようなら」と言ったら、S先生に「さようならと言うなら帰れ!」と叱られてしまったという話があったと思う。それには続きがあって、落ち込んでしまったヨネに寄り添い、なぐさめて元気を出させてくれたのがマエさんだった。
他にも今はANAの整備士になったセイちゃんこと藤原誠治君(仮名)や、グッチョこと溝口義人君(仮名)などがいた。セイちゃんは久しぶりに同窓会で会った時、ANAの整備士の制服が似合いそうな、素敵な人に成長していた。ドラマに出てきそうな雰囲気だった。
グッチョは、私たち家族が住んでいた家の、下の階に住んでいた男子で、いろいろとうちの家族のプロフィールと偶然が重なっていた。理恵ちゃんという3歳下の妹がいて、私と同じ誕生日だった。それにグッチョの誕生日は、私の弟と同じ日だったのだ。さらにうちの母とグッチョのお母さんは同じ名前、漢字まで同じだった。
彼は東工大の大学院から某ウォシュ〇ットの会社に就職した。同窓会では和式ウォシュ〇ットの開発の話を教えてくれてみんなが大爆笑だった。
「お尻の位置決めが定まらないから、水がピューッと頭上から降ってきてねぇ」
試行錯誤を重ね、無事に和式用も商品化されたらしいが、あまり買う人もいなかったのか、90年代には販売終了になってしまったらしい。
こうやって書いていたら、また同窓会をしたくなってきたなぁ。他にも楽しいメンバーはいっぱいいるのだけれど、またの機会に書いていきたいと思う。
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