ランドセルを買ってもらった頃。家族4人で鬼怒川温泉へ。
自分のランドセルを買ってもらった時のこと、覚えていますか?
今はランドセルにも様々な色があったり、テレビCM がずいぶん早い時期から始まったり、父方、それとも母方のどちらのおじいちゃんおばあちゃんが買ってくれるのかが大問題になったり。ずいぶん時代も変わったけれど、子どもの嬉しい気持ち、ワクワク感は今も昔も変わりがないのだと思う。
私のランドセルは、昭和46年の秋のある日に突然、私の家に現れた。うちの父は紳士靴の会社に勤めていたので(宮内庁御用達というのが父の自慢だった)、知り合いの革の問屋さんから、卸売り価格でランドセルを買うことができた。当時たしか5000円だったと思う。
箱に入ったランドセルは、ある朝目覚めると私の枕元にあった。前の晩、帰りの遅かった父が持って帰ってきてくれたようだった。
箱を開けると真っ赤なランドセルが入っていた。新しい革の匂いがした。つやつやして真新しいランドセルを私はすぐに背負ってみた。急に小学生のお姉さんになった気分だった。
入学まではかなり時間があったけれど、私はうれしくてうれしくて、毎日幼稚園に行く前に、そして幼稚園からかえってくるとすぐに箱から出して赤いランドセルを楽しんでいた。なでてみたり、マグネットの部分をカチッと鳴らして閉めたり、開けたり。背にしょって家を出て10階の廊下を歩いてみたり。とにかく新しいランドセルが嬉しくって嬉しくって仕方がなかった。
するとある日、それを見かねた母が「あんまり出していじってると、入学する前に汚れちゃうわよ、入学までしまっておこうね」と言って、私の手の届かない、家の中で一番背の高い洋服ダンスの上に載せてしまったのだ。
私は本当に寂しかった。あの赤いランドセルが私の手の届かないところに行ってしまった。でもいじくっていた私がいけないのだ。しょうがない。私は母に反抗もしなかった。そのかわり、毎日毎日、洋服ダンスの上の、あのランドセルが入っているボール紙の箱を眺めていた。今でもあの洋服ダンスの上に、すこし茶色がかったボール紙の箱が載っかっている光景をまざまざと思い出すことができる。
母に最近その話をしたら、「そんなに詳しく覚えているの? 今思い返せば、かわいそうなことをしたわ。ただお母さんは入学式の時にきれいなランドセルを持たせたいと思ったのよ。でも今考えればまだ若かったし、それだけじゃなくていろいろと未熟な母親だったと思う。かわいそうにね。自由に触らせてあげればよかったね」と言っていた。
しかし私も今思えば、ランドセルへの熱い思いは、あの時がピークだったかもしれない。入学式の時はたぶん嬉しかったと思うけれど、実はあまり覚えていない。最初にランドセルが枕元に置いてあった朝の喜び、そして箱に入ったランドセルが手の届かない洋服ダンスの上に載っていて、それを見上げていた時の気持ちはよく覚えているのに。
想像だが、父は買うときに「今度、娘が小学校に入学するんですよ」などと、知り合いの革問屋さんに嬉しそうに話していたのかもしれない。せっかく父が私のために買ってきてくれたランドセルだったのに。
小学校6年生まで毎日使ったランドセル。最後にどう処分したかは全く覚えていない。ごめんなさい、そしてありがとう。
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