工作の時間に人形劇の人形を作りました。
中央がちっちゃん。
望洋小学校に転校してから、一番長く一緒の時間を過ごしたのは、ちっちゃんこと荻野愛美さん(仮名)だった。彼女は私と同じマンション群に住んでいて、登下校も必ず毎日一緒だった。
以前にも書いたが、彼女はクラスでも一番小さかったので、「ちっちゃん」と呼ばれていた。小学校3年まで住んでいた横浜の小学校でも、ちっちゃんと呼ばれていたらしい。
横浜出身のちっちゃんは、よく会話の語尾に「~じゃん」を使っていた。錦糸町から引っ越してきた私にとって、最初それは驚きだった(今では私も普通に使っているが)。
望洋小学校の生徒は、同じ横須賀市内から引っ越してきた子も多かった。その子たち、特に男の子たちは会話の語尾に「~だべ」を多用していた。東京から引っ越してきた私にとって、「だべ」は「じゃん」以上に衝撃的だった。何だかひどく田舎者になった気がして、
(絶対、だべ、は使わないぞ!)
と心の中で誓っていた。今では元SMAPの中居くん(藤沢出身)が「だべ」を全国区にしてくれた。隔世の感がある。
ちっちゃんは活発な女の子で、陸上、ボール競技など、全ての体操競技が得意だった。私が大の苦手だった器械体操なども得意だった。そういえば、あの頃、まだ望洋小学校には体育館がなく、1つの教室に体操マットを敷いて器械体操の授業をやっていたことを思い出す。体育館が完成したのはいつのことだったろう。
ちっちゃんは音楽も得意で、今でいう「絶対音感」を持っていた。全ての曲をドレミファで歌うことができたし、車のクラクションなどもドレミで表現できた。その頃、よく私たちはテレビ番組の主題歌を替え歌にして、登下校中に一緒に歌っていた。特にお気に入りだったのは「Gメン75」だった。
「Gメン75」は、たしかTBS系で、土曜日の夜9時からやっていた番組である。丹波哲郎がボスだった。
小4の頃の私は、毎日9時には眠くなって寝てしまう生活だった。Gメン75がある日は頑張って起きて見ていたことを思い出す。
ちっちゃんも私と同様、Gメン75の放映を楽しみにしていた。そして私たちはいつからか、マコちゃんなどクラスの数人をメンバーにして「Gメン76」という架空の物語を作り上げるようになっていた。
ちゃんと「Gメン76」のテーマ曲も作った。本家の番組では「追憶」というエンディング曲があり、歌詞は「♪いつか来た道、あの街角・・・」という感じだったが、「Gメン76」のテーマ曲は
「♪いつか来た学校、あの望洋小学校・・・」という感じだった。
私たちは登下校の途中で、よく「Gメン76」の歌を歌っていた。まだ子供で、本当に他愛のない、かわいらしい時代だったと思う。
二人とも、あまり勉強には興味がなく、いつも元気に、毎日楽しく暮らしていた。
ちっちゃんは今も元気で、一番頑張っているのは子どもの教育だと思う。子どもが小学校の頃からお受験なども頑張っていた。私たちが小学校の頃、楽しくお気楽な日々を過ごしていたことは、きっと子どもには内緒にしているに違いない(笑)。
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