4月には22人しかいなかったクラスメイト、年が明けたころには30人以上に増えていました。最後列の真ん中あたり、三つ編みの朝美さんの左が加納君。
私が横須賀で住んでいた新しいマンション群には、最初5階建てが9棟あった。その後、時期をずらして7階建てと11階建ての2つの高層が新たに建設され、さらにたくさんの転校生が増えていった。
高層マンションに引っ越してきた転校生の一人、加納公平君(仮名)は、優しい感じの男の子だった。色白で丸顔。全体がふわっとしたマシュマロのようなイメージの子だった。
彼は川崎市内から転校してきたのだが、転校の数か月前からある悩みを抱えていた。理科の授業で「化膿菌」という言葉を学んでから、クラスのみんなに「加納菌」と呼ばれるようになってしまったのだ。
授業の前に教科書でその言葉を見つけた時、(これはやばいことになるぞ)と彼は思った。案の定、先生が「化膿菌」を紹介した時に、クラスの皆がうれしそうに加納君の方を振り向いた。加納君は何事もなかったように笑顔を作っていたけれど、心の中は非常に傷ついていた。
自分の名前に「菌」を付けて呼ばれることほど悲しいことはない。いじめの常とう手段である。いじめる方はあまり悪意を感じていないことがまた厄介である。
加納君の一縷の望みは「もうすぐ横須賀に転校する」ということだった。しばらくの間我慢し、数か月後、加納君は私たちの望洋小学校4年1組に転校してきた。
転校の日、担任のS先生が皆の前で加納君を紹介すると、さっそく休み時間には数人の男子が加納君の周りに集まってきた。
「僕は米本って言うんだ。ヨネって呼ばれてる。こっちは井上君、イノッピって呼ばれてるよ」
明るく積極的な米本君は、加納君にそう自己紹介し、最後に
「ところで加納君は、川崎の小学校で何て呼ばれてたの?」
と聞いた。
加納君は困ってしまった。何と答えようか。嘘を言うのもいけないことだし、でも正直に言ってしまったらまた「加納菌」と呼ばれてしまう。
しばらく悩んでから意を決し、小さな声で、もごもごと
「か、かのう、きん…」
と答えた。
加納君の白い顔はみるみる真っ赤になり、少々口も震えていた。それを見ていたヨネやイノッピは、川崎の小学校で何があったのか、全てを察したのだった。そして
「よし、じゃあ、この学校では、カノキャンて呼ぶのはどう?」
と新たな呼び名を提案した。
「うん、カノキャン、いいねぇ」
加納君は米本君の優しさと機転が、涙が出るほどうれしかった。
それからは加納君の名前に「菌」を付けて呼ぶ子は誰もいなかったし、いつまでも「カノキャン」と呼ばれるようになったのだった。
大人になってから、久しぶりに同窓会で加納君に会った時、一人の女子が
「そういえば、カノキャンっていう呼び名は、どうして付いたの?」
と突然聞いた。そこでカノキャンは、私たちに川崎の小学校の話やヨネが名付けてくれた話を聞かせてくれた。
私も全く知らない話だった。切ないけれど、ちょっと感動する友情物語を、ぜひ書き残しておきたいと思った次第である。
(この話を書くことは加納君本人から快諾をいただいています。若干脚色はありますが、事実に基づいています)